2021-10-28 初めてのスリとハロウィンの長い夜
2013年のハロウィンの日、私はトロントのとあるバーにいた。
半年ほど滞在したカナダでは、生きることに必死でほとんど観光したり外食したりをしなかったのだけれど、しばらく前にした大怪我が治って歩けるようになったし、もうすぐ誕生日だし、ハロウィンの雰囲気も楽しんでみたいし、たまには町に出てみようという外出だった。
そこは数階にわたってクラブスペースやバースペースが設けられ、踊ったり飲んだり喋ったりと長くだらだらとできる雰囲気の場所だった。その日はハロウィンのため人でいっぱいで、廊下を行き違うにも階段を昇り降りするにも見知らぬひととぶつからぬよう身をよじって歩かなければならなかった。
階段を上がって人のいない風通しのよい場所をみつけた。ここなら人に酔わないで済むね、と腰を落ち着けることに決め、ふたたび飲み物を買うためバーカウンターまで降りるが、人混みで順番もなにもない。いつの間にか連れともはぐれている。
私は人を押しのけてまで「ビール頂戴!」と言えるタイプでもないのでなんとなく自分が最前列に行けるタイミングを見計らっていたらふと、少し前の方にいた男性が「僕が一緒に注文してあげるよ」と言う。これ以上前に進める気もしなかったのでお礼を言ってお願いすると「僕が一杯おごる」と言い出す。あ、もしかしたらこれは一緒に飲もうということかもしれないと思い、私には連れがいるのだということを片言とジェスチャーで伝えようとする。が、相手はなかなか引かない。これは伝わっていないぞと懸命に説明し、しばらくやりとりがあったのち、あるタイミングであっさり、OK、とその人はどこかに行ってしまった。
結局飲み物を手に入れることは出来ず、人混みにも疲れたのでここを出てどこかでご飯を食べようということになる。
調べておいてくれたらしいレストランで楽しく食べ、さあお会計をしようと思ったら財布がなかった。
どんなに探してもなくて、頭が真っ白になった。
あのバーに入るために身分証明書を持ってきていたので、財布を家に忘れてきたということは考えられなかった。
スリには充分注意していたので絶えずかばんのチャックに手をかけていたのに…体をねじ込むようにしてすれ違う瞬間が多かったから、あのどれかのタイミングだったのだろうかと考えて、思い当たる。
あのカウンターで声をかけてきた男の人だ。
いくら私が英語を話せないからといって、あまりに話が通じなすぎた。おそらく財布を抜き取るためだったのだ。私が身振り手振りで話しているあいだ、もうひとりが後ろに潜んでいて、いつのまにか財布を持っていかれていたのだと思う。それ以外にタイミングは考えられなかった。
ご丁寧にかばんのチャックを閉めてくれたのでその時まで気づかなかったのだ。
カナダと日本のカードをとにかく止めなくては、と心臓がどきどきする。
当時私は日本から持っていった携帯のSIMを抜いてWi-Fi環境下だけで使えるようにしていたので、なんとかWi-Fiの繋がる場所を探してSkypeに課金し、日本のカード会社に電話した。
スリに遭ったのが初めてだったことと、あんな風に楽しい場所で人のものを盗む人がいるのだということにショックを受け、手が震えるのを止めることができなかった。
日本にはかろうじて電話が繋がり、すぐにカードを止めてもらうことができたが、カナダの銀行にはなかなか電話がつながらなかった。
携帯の充電もなくなってきたので連れの家に移動する。
せっかくの楽しい時間を台無しにされた気持ちになったのだろう、彼はずっと私に対して怒りを隠さなかった。カナダのことは思い出したくないくらい入国時からうまくいかないこと続きだったので、最後になってその怒りが爆発したのかもしれない。
迷惑をかけやがって、どうしていつもまともに行動できないんだと怒鳴られつつ、がくがく震えながら何度もナンバーを押し間違えたことをぼんやりと覚えている。
彼の家についても(私としては予想通りだったが)Wi-Fiが働いておらず、結局私の家に帰るしかないとなった。
もう夜中の3時で、彼の家から私の家まではバスで20分ほどかかる。もちろんそんな夜中にバスは通っていないので歩くしかない。町外れで怖かったが、そのまま追い出されてしまったので街灯もまばらな深夜の町を走るようにして家に帰った。
家にたどり着くと、いつも遅くまで勉強をしているシェアメイトがまだ起きているようだった。
ドアを叩いて、こんな時間に申し訳ないのだけれど財布を盗まれて銀行のアカウントを止めないといけない、英語に自信が持てないから電話で説明してもらえないだろうかとお願いした。
彼は私の顔を見るなりびっくりして、いったいどうしたの?こんな時間に外を歩いて帰ってきたの?絶対に駄目だよ。全部やってあげるからまずはそこに座って、からだをあたためて。と、お茶を入れてパンケーキまで焼いてくれた。自分のためには豆を煮ることしかしないそのひとがである。
よほど私がひどい様子だったのだろう。
カードがなければ、私は日本に帰るためのチケットも買えなかった。それどころか、家賃だって払えない。そうなったらどうしたらいいのだ。以前引越しを迫られて見に行った天井高が1.2mしかない物入れのような、いつもマリファナで煙っている部屋を思い出した。
今出国できなければ、冬が来てしまう。
そうしたら私はもう動けなくなってしまうだろう。
お金もないし、友人もほとんどいない。働く権利もなく、病院にも行くことができない。滞在許可証が切れたら不法滞在になってしまう。
冬になる前に帰れなかったら、このままあてもないままマイナス30℃の冬が来てしまったら、と、ルームメイトが電話をしてくれている間、ずっとがたがた動く手をきつく握っていた。
それから帰国までのことはあまり覚えていない。
私の様子を見かねたパリ在住の友人が、日本に帰る前にフランスに寄りなよ、トロントとパリは近いのだし、と言ってくれた。
それで私は日本に帰る前にパリに3ヶ月滞在した。
まだその時には、パリと縁ができるとは想像もしていなかった。
もしかしたらあのハロウィンの夜がなかったら、私はいまパリにいなかったかもしれない。